「Every Single Minute」(Hugo Hamilton)

アイルランド人の父とドイツ人の母を持つ作家、ヒューゴー・ハミルトン。両親それぞれが抱える文化の差異に葛藤する子供時代を描いた半自伝的な作品"The Speckled People"(後述)がとても良かったので、新作をkindleで見つけていそいそと購入:


Every Single Minute

Every Single Minute

Every Single Minute

Every Single Minute


癌で死期が迫ったUnaは、人生最後の旅を楽しもうとベルリンへの旅行を計画します。付き添い役は作家仲間のLiam。物語はLiamの視点から描かれます。


家族でも恋人でもない二人の旅。同じアイルランド作家といっても二人の作風はかなり異なることが読み進めるうちに分かってきます。
Unaの父親は本国では非常に名の知れたジャーナリストでしたが家庭内でのふるまいは横暴で、母親は(のちには弟も)現実から逃れるため酒におぼれ、彼女はそのことで深く傷ついています。彼女はその過去を率直に綴った回想録で世に知られるようになったのですが、未だに講演会でも当時を思い出して涙を流す、そんな過去への拘りがあまりにも強すぎるのではないか、とLiamは彼女に忠告します。けれどもUnaは、過去を許せるかは自分が決められる問題ではないのだ、過去が私を離さないのだ、と反発します。


Liamの方もむろんこれまで家族間で葛藤がなかったわけではない、けれどもそれは振返らず、むしろ今は未来の問題(例えば娘の将来について)に集中しなければ、と彼自身は考えています。とはいえUnaとの会話によってこれまで封印してきた過去が別の意味を持っていたことに気づくようになります。


捉え方の違いから時に感情的なやりとりがあったりもするけれども、基本的に互いを尊重し大切にする(特にLiamは年長者で病人でもあるUnaへの敬意を決して忘れない)二人の小旅行は、残された限られた時間への愛おしさを感じさせるものになっています。すっと肌になじむようなハミルトンのリズミカルな文章がまた素晴らしい。


Unaの病状や家族背景の描写が非常に詳細なので、これは絶対実在のモデルがいるなと調べたところ、2008年に亡くなったヌーラ・オフェイロンのことだと知りました。インタビューによると旅行も本当に行ったとのこと(ただし二人だけでなくもっと大勢で)。

◆著者インタビュー:http://www.irishtimes.com/life-and-style/people/a-novel-approach-to-nuala-1.1700339


ダブリンに、たったひとり―55歳のメモワール

ダブリンに、たったひとり―55歳のメモワール


アイルランドでは良くも悪くも常に話題の人だったヌーラ。こういう女性の半生記っぽいのは苦手と敬遠していましたが、これをきっかけに翻訳くらいは読んでみようと思っています。


それにしてもハミルトン、もう中堅作家なのに全然日本では翻訳が出ませんね。唯一紹介されている「フィンバーズ・ホテル」↓でも匿名参加に近い(誰がどの章を書いたのか分からない仕掛け)のでインパクト薄いし…なんとももったいないです。


フィンバーズ・ホテル (海外文学セレクション)

フィンバーズ・ホテル (海外文学セレクション)

  • 作者: ダーモットボルジャー,アンエンライト,コルムトビーン,ヒューゴーハミルトン,ジェニファージョンストン,ロディドイル,ジョセフオコーナー,Dermot Bolger,Joseph O’Connor,Anne Enright,Colm T´oib´in,Hugo Hamilton,Jennifer Johnston,Roddy Doyle,茂木健
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 2000/08
  • メディア: 単行本
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参考までに、以前書いた"The Speckled People"の感想を挙げておきます。昔のサイトはいつ消失するか本人にも分からない、という状態なので…:

THE SPECKLED PEOPLE.

THE SPECKLED PEOPLE.

アイルランド人の父とドイツ人の母の間に生まれた著者が、ダブリン郊外の海辺の町で過した少年期を綴った作品。親が子に教え諭すような文章で、単語も難解なものはほとんど使われない(例えば「軍人/暴力を振るう人」は fist people、「文人/言論の人」は word people と説明される)。しかし語られている内容は深くて重い。


父親は十九世紀の飢饉で甚大な被害を受けた西部の出身、さらに彼の父親が本来アイルランドの敵である英国海軍に入隊し、しかもそこで不幸な事故で廃人になってしまったのに海軍が何の補償もしてくれなかったことに憤り、がちがちの国粋主義者となっている。
彼はハミルトンという元の名字もわざわざケルト風に改めるのだが、その "O hUrmoltaigh" なる名字はアイルランド人ですら容易に発音できず、そのせいで後年彼が行商に出歩くようになっても誰も名前の覚えられない人からは品物を買わない、という笑うに笑えない逸話まで出てくる。


母親の一族は第二次大戦中はずっとナチス勢力に反対していた勇気ある人々だったが、そのせいもあって母親はドイツの娘時代にむごい仕打ちを受けており、夫にも語れないその体験を一人タイプを使ってひっそりと書き綴っている。
冒頭、子供たちの悪ふざけする姿に母親は笑い転げる。しかし涙をこぼし肩を震わせるその姿をずっと見ているうちに著者には段々とわからなくなる、本当に母親が笑っているのか、それとも実は泣いているのかが。時にふっと忍び寄るそんな境界線の曖昧さが印象に残る。


「私たちは様々な要素が入り交じった斑の民(speckled people)、新しいアイルランド人。過去よりも未来を見て生きよう」と子供たちには教え諭しているが、実際には誰よりも当の両親が深く自分の、そして母国の過去に傷ついているのだ。


実際、彼らは頻繁に死者の声に耳を傾けている。
アイルランドでは人は秘密を抱え込んだまま黙って生き、墓場に入ってから雄弁に物語ると言われている。生者を黙らせることはできても死者の声を妨げることは誰にもできない。
ナチスに反抗した母親の叔父も様々な苦難を黙って耐え忍び、死んでからようやく人々はその偉大さを理解することになる。両親は絶えず忘れられない歴史、忘れてはならない歴史を子供たちに物語る。飢饉で死んだ人達、強制収容所で死んだ人達、生活のためにアメリカへ渡った人達、ポーランドに列車で移送された人達…。


確固たる信念を持って生きる両親の根性には頭が下がるが、その下で育つ子供たちの人生は正直かなりシンドイものとなる。
父親の教育方針で家の中で英語を禁じられ、ゲール語とドイツ語だけで通常生活している子供たちだが、一歩外を出ればそこは英語だけが通用する世界。しかも戦後すぐの時代では「ドイツ=ナチス」という単純な図式が蔓延しており、アイルランドでドイツ語を喋る子供はそれだけでナチス呼ばわりされ、いじめられる。


後年ゲール語のみで授業をする学校に入学した著者は、その完璧なゲール語を教師から誉められるが、影では皆の笑い者になっていることを自覚している。
旅行で訪ねたゲール語だけが通じるコネマラ地方、そして母親の里帰りにつきあったドイツでようやく彼らは普通の子供たちのように伸び伸びと遊ぶことができるのだ。


終盤、霧の町を母子があてもなく歩く場面が美しい。数歩先も見えない霧の中で霧笛だけが延々と鳴りわたる。"Rooooom....."それは「room」 真の居場所を求めてさ迷う家族の姿と重なり合う。


結局父親の死(これが壮絶というかなんというか…)によって彼らの戦いは幕を閉じる。悲しみと、そして幾ばくかの開放感への予感を伴って。
様々ないざこざはあっても、読み終わって確かに残るのは家族間の深い絆であることに慰められる思いだった。(2004年5月読了)