「慈しみの女神たち」(ジョナサン・リテル)


図書館にて借出し:


慈しみの女神たち 上

慈しみの女神たち 上


慈しみの女神たち 下

慈しみの女神たち 下


アメリカ人がフランス語で書いたドイツ・ナチスの物語がゴンクール賞受賞、ということで受賞時は
ドイツでも何かと話題になりました。原書が出版された2006年当時から興味はありましたが、とにかく
分厚いので他言語ではとても読む気になれず…日本語版が出てくれて何より。


話題となった戦時中の残虐描写は正にハイパーリアルで、淡々とした細密な描写がかえって恐ろしい。
また物語の都合とはいえ主人公がウクライナポグロムスターリングラードの激戦、アウシュビッツ
そしてベルリンの市内爆撃と、軍事史に詳しくない私でも知っているような歴史的舞台にことごとく
居合わせていて読んでるだけで疲れました。とはいえSSと国防軍の対立や、ユダヤ人排除に対する
様々な考察など興味深い内容ではありました。


気になったのは、軍の階級や軍事関連用語に基本的に「ドイツ語の原語〔その翻訳〕」という表現方法を
取っていること。日本語訳だと例えば「オーバーシュトゥルムバンフューラー〔SS中佐〕」とか
「エントレーズング〔最終解決〕」とか。これは適した訳語が見つからないというよりはわざとドイツ語を
文中に埋め込むことで違和感、更にはナチス・ドイツに対する嫌悪感を読者側に喚起させるという効果を狙っていると
思われますが、ドイツ語自体に問題があるわけじゃないのに、その辺ちょっと意地悪?な印象を受けました。
(しかしこれ、独語訳ではどう処理してあるのだろう…)


もう一つの軸になっている主人公の家庭内での葛藤(ドイツ人の父の失踪後、アルザス出身の母はフランス人と
再婚し、主人公は母を軽蔑する反動でそばにいない父親に必要以上の憧憬を抱えている、さらに双子の姉に禁断の
感情を抱いているため、実生活では同性愛的性向を示しているが勿論ナチスでは御法度なので巧妙に隠している)
については、ギリシア悲劇を原型とした物語の現在的解釈…らしいんですが、良く言えば王道、悪く言えば紋切型で
個人的には薄っぺらいなーと感じてしまいました。この主人公の分かりやすいトラウマがナチスの残虐性を説明する
要因として説明されてしまったらそれはかなりつまらないと心配していたのですがそういう訳ではなく、でもじゃあ
この設定は何のためにあるの?という疑問は残ります。戦闘場面ばっかりじゃ読者もつらいから時にはメロドラマも
挟みましょう、という意図なんでしょうか。まあ確かにそれが読み進める契機になっていた部分も多かったけど。


というわけで、私個人としてはあとがきに例示してあった歴史家側の批評(「歴史的な事実の考察に見るべきものは
あるけれども、物語は『冗談事』としかうけとれない」P.437)が一番しっくりくる感想だったのですが、かといって
「読んで損した!時間返せ!」とは思わなかったし、それなりに得るところはあったかな、といったところです。