「The Meursault Investigation」(Kamel Daoud)

原書はフランス語で2013年刊。元ネタがあのカミュ『異邦人』!ということで本国で大いに話題を呼び、ついにはゴンクール賞のデビュー作部門を受賞(2014)、というわけで、今回の英訳もかなり話題になってました:


The Meursault Investigation

The Meursault Investigation

The Meursault Investigation

The Meursault Investigation


せっかくなので改めて元ネタも読んでみました。

異邦人 (新潮文庫)

異邦人 (新潮文庫)

物語の中盤で主人公・ムルソーはアラブ人を銃殺し、裁判で死刑を宣告されるのですが、その判決は殺人そのものよりも「直前の母親の葬式でも泣かないし、その後は恋人といちゃついていた」ことに対する周囲の不快感に由来するところが大きく…と、殺されたアラブ人のことなんてそっちのけで話は進行するわけです。


…おいおい、少なくとも人ひとり死んでるんだぜ!?なのに単に「アラブ人」って、おれの兄ちゃんは名無しさんかよ!しかもその殺人者のムルソーってやつは手記を出版して一躍時代のヒーロー、ってなんか世の中おかしくないか?(日本でも最近似たようなことがあったような…)おれもう我慢できないからいろいろ喋っちゃうぜ!


というわけで、小説の語り手はムルソーに殺されたアラブ人の弟。父親のような存在だった歳の離れた兄を失ったのち、残された母親とともにアルジェリアの激しい独立運動の中で必死に生きていく姿が描かれています。


著名な小説の脇役の視点から新たに物語をとらえ直すという手法は、すでに出来上がっている世界観を土台に展開できるので効率的といえば効率的。(もちろん出来が悪かったら愛読者から総スカンですが)私が最近読んだなかでは『ジェイン・エア』のロチェスターの妻(狂女扱いで閉じ込められていた)の立場から語られた『サルガッソーの広い海』が印象的。


今回のこの作品、特に前半は『異邦人』との関連性について、「加害者のあいつはヒーロー、なのに被害者家族のおれっちたちは…」とぐだぐだ愚痴が続くのですが、実際に書きたかったのは事件以降のアルジェリアの混乱にあるようで、実は『異邦人』持ち出さなくてもそれは書けたのでは?とも思ってしまいました。でもそうしたらここまで話題になることはなかったでしょうから、その辺は著者の作戦勝ちというところでしょうか。


著者は本来ジャーナリストということなので、小説家としての表現力が正直?ですが、自分の主張を上手く盛り込むために今回小説として発表した、という感じでしょうか。
いろいろ調べているうちにエドワード・サイードカミュに対する言及↓に行きあたりました。著者はかなり参考にしていそう:

「エドワード・サイード interview」(ペンと剣)

異邦人』 L'Etranger (1942)に出てくる主人公ムルソーはアラブ人を殺しますが、カミュはこのアラブ人に名前も素性も与えていません

って、正に今回の作品の基本コンセプトそのままですよね。


上記の反論?として面白かったのは↓
「ピエ・ノワールとしてのカミュ」(松浦雄介 Kaléidoscope sociologique)
カミュアルジェリア、もう少し研究してみたくなってきました。