「TransAtlantic」(コラム・マッキャン)

ダブリン生まれ、NY在住である著者の最新作。本作は今年のブッカー賞longlistにも選ばれています:


TransAtlantic

TransAtlantic


これまで著者の作品は『ゾリ』『世界を回せ』を読んでいます。どちらも主要人物にアイルランド人は出てくるものの、特別にアイルランドが主要テーマという訳ではなかったのですが、今回は題名からも分かるようにアメリカとアイルランドの歴史的な繋がりが一つの読みどころとなっていて、それだけでアイルランドびいきの私には充分に美味しい内容でした。


大勢のアイルランド人がアメリカに移民として渡っているのは周知の事実で、それをモチーフとした作品も多い(例えばコルム・トビーン『ブルックリン』)ですが、今作で特徴的なのは、逆にアメリカからある目的を持ってアイルランドを訪れた歴史的人物をまず取り上げていること。前半に語られる3つのエピソードはいずれも印象的です。


1つ目は1919年、初の大西洋無着陸横断飛行を成功させるオールコックとブラウンの物語。大西洋横断というとリンドバーグが有名ですが、あちらは「単独」で初(1927年)ということで、横断ということでは彼らが先駆。1918年に終わった第一次大戦の記憶をひきずりながら(使用された飛行機は元軍用機)、でも前向きに生きようとする人々の気持ちが、この飛行への期待にこめられています。
飛行区間はカナダはニューファンドランド島からアイルランドのクリフデンまで。悪天候をくぐり抜け、ようやく目にしたアイルランドの風景はさぞ美しかったことでしょう。

●参考:大西洋横断飛行ジョン・オールコック (いずれもWikipedia


2つ目のエピソードは少し遡って1845〜46年、元奴隷で今は活動家として奴隷廃止運動をしているフレデリック・ダグラスのアイルランド訪問記。アメリカ本国で出版した自叙伝が話題になりすぎ、身の危険が案じられるほどになったための講演旅行だったそうです。

数奇なる奴隷の半生―フレデリック・ダグラス自伝 (りぶらりあ選書)

数奇なる奴隷の半生―フレデリック・ダグラス自伝 (りぶらりあ選書)


黒人であるダグラスに対するアイルランド人(主に知識人ですが)の眼差しはアメリカ本国と違って偏見の曇りなく概して暖かく、しかし宗教上の対立や貧富の差の激しさなど奴隷問題とは違った差別も目の当たりにして戸惑うダグラスの視点からアイルランドが描かれます。時期的にちょうどジャガイモ飢饉の頃ですから、庶民の飢えの苦しみはさぞ凄まじかったことでしょう。この飢饉をきっかけにアメリカに渡る人の数も激増します。
●参考:フレデリック・ダグラスジャガイモ飢饉 (いずれもWikipedia


最後のエピソードはつい最近の1998年4月、北アイルランド紛争和平合意の最後の詰めに入るべく現地入りした米国元上院議員ジョージ・ミッチェルの視点から描かれています。一時は泥沼状態だった、しかしほとんどの人は望んでいなかったこの紛争を、調停者として辛抱強く終結に導いていく過程は感動的です。今年ベルファストはG8開催地にもなりましたが、15年前には想像もできなかったなあ…と感慨にふけったりして。(もちろん諸問題は未だ多く残されているわけですが)


このように歴史的事実を基とした前半から、後半はこの3つの独立したエピソードを縫い合わせるような形である一族の物語が進行します。女性を中心に三代に渡って繰り広げられるこの物語も骨太で読み応えがあります。あまり詳細に説明すると一種のネタバレになってしまうので避けますが、前半と後半を組み合わせることで地理的にも歴史的にも広がりを持つ小説になったと思います。


最近翻訳が出た『世界を回せ』と構成はかなり似ています(史実上のエピソードから無名の人々の物語を引き出していく手法など)ので、どちらかが好きならもう一方も読んで損は無い!とおススメします。今年のブッカー賞、他の作品は未読なのでなんとも言えないけどshortlistは確実やろ!と一方的に予測しておりますがさてどうなるか。

世界を回せ 上

世界を回せ 上

世界を回せ 下

世界を回せ 下

(しかしよく曲がっている…)