「夜に甦る声」(マルセル・バイアー)


図書館にて借出し:


夜に甦る声 (ドイツ文学セレクション)

夜に甦る声 (ドイツ文学セレクション)


最近お邪魔しているブログ「エルバーフェルト日記」の中でよく言及されているのが気になって読んでみたのですが、
終始張りつめた緊張感が感じられる素晴らしい作品でした。感謝。


舞台は第二次大戦中のドイツ。主人公カルナオは音響技師で特に人間の声に多大な興味を抱いており、
世界のありとあらゆる声を集めた「声の地図」を作成したいというオブセッションに捕われている。
その欲望を叶えるためには、あえてナチスの生体実験にも協力を惜しまないカルナオだったが、
戦争が続くにつれ「声」の記録は次第に困難を極めてきて…。


物語の中盤過ぎに主人公は回想する:

なるほど、同じ記録でも、写真の方は撮られ続けていた。しかし、十二年の間、声を嗄らして叫び続けたあとで、
誰ももう自分の声に耳を傾けることはできなかったのだ。写真であればきれいに修正することもできるし、「さあ、
微笑んで、互いに腕を回して」などと、あらかじめお膳立てもできる。しかも、制服を戦後のぼろ服に取り替えたり、
勲章を消したり、口ひげをあっという間に剃り落としたりすることもできる。目に見えるものには一夜のうちに慣れ、
朝になれば、憎悪に満ちて好戦的な様子から、一変して疲れ果てて友好的な様子に様変わりすることもできる。
しかし、人間の声はそういうわけには行かない。あの「そうだ、そうだ、そのとおりだ」という声、「勝利万歳」や
「そのとおりです、総統閣下」といった雄叫びは、その後何年にもわたり響き続けることになるのである。(p.239)


権威の響きは深く人の中に染み透っていき、そこから逃れることはできない。大人の企みを、その声の内から
無意識のうちに聞きわける子供たちを除いては。


もう一人の語り手である少女・ヘルガは、ナチス高官の父を通じて何度かカルナオとも遭遇しているが、偽りに
満ちた大人の世界を鋭く暴きだす。しかし彼女の「声」をカルナオが受け取ったのは全てが終わってからだった。



カルナオの一種病的で繊細な思考と、ヘルガの少女らしい素直で大胆な物言いが絶妙なバランスを保っていて、
どちらか片方だけだったら読みにくかっただろう内容を、膨らみを持たせた読み応えのある作品に変えているように
思えました。「声」を主題にした小説なので、ラジオドラマなどで上手い俳優さんが演じたら面白そう。




ゼロ・デシベル

ゼロ・デシベル

音響技師つながり、って感じで。表題作は現代人の孤独を描いたもので、読んだ当初はかなりシビレました。