「天国の発見」(ハリー・ムリシュ)


古本で購入。著者のムリシュは先日調べた南ドイツ新聞社の文学全集でも取り上げられているし、
受賞は逃したものの第2回Man Booker International Prizeの候補にも挙がっていたので、
このところ気になる存在だったのです。


天国の発見(上)

天国の発見(上)


天国の発見(下)

天国の発見(下)



先々週には読了していたのですが、とっても感想が書きにくくてズルズルここまで引き延ばしてしまいました。
面白いかと問われれば文句なく面白い!んだけど、うまく説明できる自信がない。


前半は大筋だけみると意外とメロドラマっぽい。親友同士が図らずしも一人の女性を「共有」してしまい、
その結果生まれてくる子供の父親がどっちか分からない!という、小説や映画ではよくある黄金の三角関係。
(現実にも多いの?)
それが俗っぽく感じないのは、「言葉のフェンシングの応酬」とも称される親友同士の刺激的な会話に窺える、
著者のセンス、バランス感覚の良さに負うのだろう。実際この2人(周りから「インテリ・ホモ」とか呼ばれてる!)
のやりとりだけでも相当に面白い(知的 interestingという意味でも 可笑しい funny という意味でも)。


親友の片割れであるマックスが女たらしという設定で、つい連想してしまうのはクンデラ「存在の耐えられない軽さ」のトマシュ。
確かに1967年から始まるこの物語は、プラハの春についても一瞬言及されるなど、時代的にもかなり重なっている。
しかしこの小説で一番大きな政治的事件は語られはじめた時点で既に終わっている。マックスの母はユダヤ人、
父はナチスに協力したドイツ人で、母は父の告発によって処刑され、父は戦後その罪のために処刑されたのだった。
この過去が投げかける影からずっとマックスは逃れることが出来ない。


もう一方のオノはオランダの名門出身で父親は有名な政治家、であることを鬱陶しく思い、自分の才能を金にならない
言語学と得意の「へらず口」に費やしている、屈折しているようでやっぱりお坊ちゃん気質の良い奴。
このオノのツッコミ振りが楽しい。酒を飲まないと「水は歯を磨くためにあるんだ」とか、アイスを買うと
「アイスを食べていいのは神父だけだ。神父は誰にも甘やかしてもらえないから、自分で自分を甘やかさねばいけない」とか、
いちいち一言付け加えないと気がすまないタイプ。頭のいい(と自覚している)人に多いね、こういう人。


さて後半はその2人を父に持つ(戸籍上はオノ、実質育てているのはマックス)クインテンの成長と思わぬ旅物語が
語られるのだが、これが「薔薇の名前」もタジタジの宗教的薀蓄と「ダ・ヴィンチ・コード」ばりの追跡劇に
なってしまうのだった!


この前半と後半の印象の差が、素直な感想を妨げる原因になっているのかも。ジャンル分けにこだわる訳ではないけど、
純文学を読んでいたらいつのまにか超エンタメに変わっていた、という感じ。どっちにせよ面白いことには変わりないんだけど、
「統一感に欠ける」と捉えるか「一粒で二度美味しい」と捉えるかによって評価が変わりそう。
私自身は…うーん、肯定7:否定3くらいかなあ。


なんでも本国では映画化されている(英国共同制作)そうで、この壮大なスケールと繊細な心理描写が果たして
両立されているのか、これはDVD取り寄せてでも観たい気満々。



ところで解説には「戦後オランダの三大作家の一人」とあって、そう言われても後の二人は誰よ?と調べてみると
オランダ総領事館のサイトにウィレム・フレデリック・ヘルマンスとヘーラールト・レーフェのお名前が(「文学」の項参照)。
先日読んだノーテボームなんかは次世代に当たるのか。この辺ももっと勉強したい。