「Vienna」(Eva Menasse)


二十世紀のウィーンを舞台としたユダヤ系家族の年代記…と来れば
ナチが横行する悲惨な物語が容易に予測できるのだけど、これが意外にも
ドライな語り口と捻ったユーモアでぐいぐい読まされてしまったのでした:


Vienna

Vienna

(ペーパーバック:asin:0753821729


↑私が読んだのは英訳版ですが、原書はドイツ語のこちら↓:


Vienna

Vienna


孫娘の「私」が祖父母の頃からの昔話を身内から聞かされている、というのが
この小説の基本構成だが、年寄りの話は何度も何度も繰り返されるうちに
「それ、ちょっと出来過ぎ…っていうかおじいちゃんそれ創ってるでしょ!?」
みたいなエピソードがわんさと出てきて、苦労話もついつい可笑しくなる。
何度も聞かされている孫の世代(「私」とその兄妹や従兄弟達)も慣れたもので
「おばさんはいつも大げさだもんね」「相変わらず叔父さんは悲観的だね」と
身内ならでは容赦ない意見を差し挟む。こういった突っ込みがいかにも大家族っぽい。


話が段々「私」の世代まで下がってくると、「又聞きのエピソード」といった
(ある種無責任な)スタンスから徐々に自らの体験が混ざってくることもあって、
家族内でも生々しい感情のぶつかり合いに発展し、最後はちょっと悲しい終わり方になる。
この変化は著者も書いていて気が緩んだというか息切れかな?と思ったが、最後まで読むと
それもちゃんと計算づくで書かれていたことが分かる。いや、大したもんですね。


オーストリアはもともと反ユダヤ主義が強い傾向があって、第二次大戦中はある意味ドイツより
遥かにナチズムが徹底されたのだが、終戦後は一転して「被害者」を強調することで国際的に
責めを負うことを巧妙に回避した…という、したたかというか一筋縄ではいかないお国である。
この辺の微妙な慇懃さが小説の中でもふつふつと浮かび上がってくる。


「私」の父方の家系がユダヤ人ということも事態を複雑にしている。
一般的にユダヤの定義とは「母親がユダヤ人であること」で、その意味で彼らは厳密には
ユダヤ人ではないのだが、実際には父方の姓と生活習慣を継ぎ周囲からはユダヤ人として差別される。
差別されることがユダヤ人としてのアイデンティティと結びつく、という逆転現象さえ起こる。
しかし戦争が終わり表面上は差別がなくなった「私」の世代はユダヤ人というアイデンティティ
どこに求めていいのか分からなくなってしまうのだ。


著者はこれが初めての小説だが、ジャーナリストとしては既に多くの実績を挙げている人らしい。
異母兄も著名な評論家で、父親は実際にサッカー選手ということらしいので、これはほとんど自伝というか
自分の一族をモデルにした物語らしい。
ここまで書いちゃったら次が書けないよなあ、とも思うが、こういう人は別に「小説」にこだわらなくても
構わないのだろう。また色々言いたいことが溜まってきたら書いてほしい、と思う。
難しいことを抜きにしても、家族サーガものが好きな人にはとりあえずお勧め。



【参考】
「「サウンド・オブ・ミュージック」・・・オーストリアの憂鬱」(楽天ブログ「ウィーン日記」):
http://plaza.rakuten.co.jp/landstrasse/diary/200604110000

オーストリアとナチズムの関係が簡潔明瞭に説明されています。
しかしあの映画にこんなウラがあったとは知らなかった…)