「Saturday」(イアン・マキューアン)


「新潮社で邦訳近刊」の情報を入手したときは「うわ随分早いなあ」と思ったが、実際読んでみてその理由が分かったような気がする。
この作品はまさに今、読むことがふさわしい。


Saturday

Saturday

「私はそれ以前に『贖罪』という小説を書いたのですが、これは歴史小説でした。で、とっくに決めていたんですよ、9.11よりはるか以前に、まさしく現在を舞台とした小説を書こう、とね。私は自分達が生きている時代の気配を描きたかった。すると自分たちがひどく興味深い時代に生きていることに気付いたのです。9.11という出来事に続くアフガニスタン侵攻、その後の、国連(での議論)を通過してイラクへと至るまでの、いわば延々と続く歩み、そして欧米諸国の、特に都市部を急に襲った不安感。」
(雑誌「English Journal」2005年12月号収録インタヴューより)


冒頭で主人公ヘンリーは早朝、ロンドンの自宅の窓から炎をあげつつ降下していく飛行機を目撃する。この象徴的な出だしから彼につきまとう漠然とした不安は、まさしく今の私たちの気持ちを代弁しているように感じられる。
果たして9.11以降、飛行機事故のニュースを見て「ひょっとしてまた?」と疑念を持たない人が居るだろうか。たとえそれが結果的に単なる事故に過ぎない、と発表されたとしても。


おりしもその日、2003年2月15日(土)は米国のイラク攻撃に反対する大規模なデモがロンドンで行われる予定になっていた。ヘンリー自身はデモに参加しないが、その様子はTV報道を彼がチェックするという形で随時報告される。


●「ブレアの足元揺るがす ロンドン200万人デモ」(週刊MDS新聞)
http://www.mdsweb.jp/doc/777/0777_45l.html



そしてデモ行進のための交通規制でいつもの道が使えなかったことで、ヘンリーにある事件が降りかかってくることになる。


ある特定の一日を通じてロンドンという街の動きを一人の人間の視点で描く、という手法からヴァージニア・ウルフの「ダロウェイ夫人」と比較する書評も数多く見受けられるが、脳神経外科医であるヘンリーの思考は極めて理性的・理知的なので、彼の意識の流れに読者が置いてきぼりにされるということは全く無い。
(と書いた後で思ったのだが「ダロウェイ夫人」も発表された当時に読んでいたら、その時代を体感した人にはずっと理解しやすい物語だったのかもしれない。例えば今「アルカイダ」や「タリバン」という単語にある感情(それが正しいかどうかは別として)を込めて読む私たちと、20年たって文献をひもときながら読み進める読者とは、その感情の振れ幅は当然異なってくるだろう。)


この一人の視点で一日の出来事を語るという手法は、ともすれば単なる詳細な描写の羅列、で終わってしまう恐れも多いが、さすがマキューアンはその点も手抜かりなく、物語としてのカタルシスをきちんと用意してくれているので、読み終わった後の満足感は非常に高かった。


現代に生きる私たちの不安、不信、疑念、欺瞞、抑圧…といった感情をあますところなく描こうとしたマキューアンの意図は見事に成功している。
同時代の優れた作家が「今」を鮮明に描いた作品を、リアルタイムで読むという機会は、ありそうで実は、なかなか無い。古典になるまで先延ばしにすることはいつでも出来るのだから、まずは今!その贅沢な幸せを充分に味わおうではないですか。