「服は何故音楽を必要とするのか?」(菊地成孔)


図書館にて借出し:



帰国するまですっかり忘れていたが、実は私「ファッション通信」を観るのが大好きだったのであった…(昔はテレビ東京放映でした)。
ブランド物は買うことも着ることも滅多にないけど、ショーを見るのは好き。どうせならケレン味たっぷりの
コンセプチュアルなモードが良い。(ゴルチエとかヴィクター&ロルフとか)


そんなショーの中で流れる音楽。ほとんどがハウス系の踊れる音楽でありながらモデル達はそれを無視し、
淡々とキャットウォークする。その「ズレ」「揺らぎ」こそがショー特有のエレガンスを生むのでは
ないかと著者は推測する。


そんなエレガンス文化を生み出したきっかけはそもそも日本人のリズム音痴?という妄想まがいの考察も
面白いが、音楽家ならではのバック・ミュージックに対する鋭い視点に、著者の純粋なるお洋服LOVE!な
情熱が交じり合ってとてもユニークな内容。わからない固有名詞(ブランドもミュージシャンも)が沢山
あってもつい読まされてしまうし、それって一体どんな服(or音楽)なんだろう?と却ってワクワクしてしまう。
読了後にショーの映像を観ると、ついつい音楽に注目してしまうのが分かる。

ファッション界の住人は(これは本当に、文化論的にも、社会学的にも、所謂「良い意味」で)意地悪で
ヒステリーで陰険でエレガントな奴ばかりだと思うし、誤解を恐れずに言えば、職業意識としてそうある
べきだ。衣装の陶酔に身を捧げるというのは、拒絶と警戒と軽蔑が基盤にある世界でないと成立し得ない
だろう。しかしそこに音楽が介在するとみんな<熱くて良い人>の顔を見せる(「見せてしまう」と言い
換えてもこの際良い)。人の心を裸にし、どんどん繋げていってしまう。音楽というメディアの属性と
言えるだろう。服と音楽は極限の着衣と極限の脱衣、即ちアントワネットとヴィーナスの力として、
ファッション・ショーという場に拮抗するのだ。(p.184)


意地悪でヒステリーで陰険でエレガント、という表現は「プラダを着た悪魔」のM・ストリープの役の人に
ピッタリだなあ…と思ってしまった。そういえば最初は編集部からの少ない資料でエッセイを書いていた著者が、
最後にはパリ・コレまで行ってショーの音楽監督達にインタヴューするという出世?ぶりは、主人公の
女の子ばりのサクセス・ストーリーだったりして、その点からも楽しく読めた。とても刺激的な一冊。