「静かな大地」(池澤夏樹)


幕末から明治にかけての日本を舞台とした史実に基づく歴史小説、しかも主人公のモデルとなっているのは
著者本人の先祖…と、これまでの作品と比べると相当異色であるはずなのに、新境地をそうと感じさせない
伸び伸びとした文章、そしていかにも池澤夏樹らしい世界観に思わず笑みを浮かべてしまった。


静かな大地 (朝日文庫 い 38-5)

静かな大地 (朝日文庫 い 38-5)



明治初年、親について淡路島から北海道に入植してきた宗形三郎・志郎の兄弟は、
原住民であるアイヌの人々と深い親交を結び、特に三郎は成人してからは彼らと
牧場を経営することを決めるが、あくまでアイヌを「土人」以上のものと見なそうと
しない他の入植者からは煙たがられ、次第に窮地に追い込まれることになる…。


物語は病床で語る志郎の昔話に親しんだ娘の由良が、大人になってからも父と伯父の生涯が気に掛かり、
当時を知っている人たちに話を聞いて廻る、という構成になっている。従って次々と異なる語り手が
出てくるわけだが、その誰もが昨今流行の「信用できない語り手」ではなく、ただ事実を伝えたいと
いう思いで由良に語りかけ、由良もまた知りたいという切実な思いで相手に問いかける。
その誠実さが胸に心地よい。


幸せな結末が待っていないことは物語の初めから暗示されており、その意味で読み進めるのが
次第につらくなってくるのだが、それでも先が気になって一気に読み終えてしまった。


著者はもともと真面目で理性的で探求心の強いところが私好みで、ただその真面目さが
時として創作には不利に働くこともあって、むしろ書評とかエッセイの方が素直に読める時も
あるのだが、今回は創造性と生真面目さが良いバランスで機能したという感じ。
穏やかな作風ながらも、実はかなり「攻め」の要素が組み込まれていて、
まだまだこれから先が楽しみ!と思わせてくれる。
ファンはもちろん、池澤夏樹初心者にも取っつきやすい作品だと思う。


しかしどこまで史実でどこから脚色なのか分からないが、この御先祖の宗形兄弟って
これまでの池澤作品のキャラ(含む本人)と比べても全く違和感が無い正義感と行動力。
これって血筋だったのか!と改めて考えると結構新鮮かも。



静かな大地―松浦武四郎とアイヌ民族 (同時代ライブラリー (162))

静かな大地―松浦武四郎とアイヌ民族 (同時代ライブラリー (162))


題名はこの本から(了承を得て)借用させていただいたそうです。そう言われるとこっちも読みたい。