「The Echo Maker」(リチャード・パワーズ)


2006年の全米図書賞(National Book Award)受賞作:


The Echo Maker

The Echo Maker


舞台はネブラスカ。冬の夜、事故に遭ったマークは匿名の通報により瀕死の状態を発見され、
九死に一生を得るが、頭部の傷の後遺症で姉のカリンのことを「誰かの陰謀ですり替えられた替玉」と主張する、
カプグラ症候群に陥ってしまう。
何を言っても「偽者」の話を聞こうとしない弟の治療のために、カリンは著名な神経学者である
ジェラルド・ウェバーに相談を持ちかけるのだが…。


このDr.ウェバーが、誰が読んでも「モデルはオリバー・サックスでしょ?」と言いたくなる人物設定で、
著者は資料の一環としてサックスの本も読んだとは発言していましたが、これだけ近しいと(しかも結構損な役回り)
サックス本人が気を悪くするんじゃないかと妙な心配をしてしまいました。ぜひサックス自身の感想が聞きたいものです。


カプグラ症候群は神経症的側面と精神病的側面の両方が原因と成りうる(実際、マークとその姉は
特殊な家庭環境で育ったため精神的に少々不安定な部分がある)らしいので、神経学者のウェバーが
色々と判断に迷うのは分からなくはない。でもだからって患者の症状に引きずられて自分の自我まで
いちいち疑いはじめたら、とても医者なんてやってられないような気がするんですけど。


表面的には極めて面白い(興味深い)症状であっても、それが「病気」である以上、関係する患者・身内・医者
それぞれに様々な苦悩や葛藤があることは自明のことで、そういう部分をあえて抑えるところにサックスの
著作の良さがある、と私などは思っているので、今回のパワーズみたいにベタでウェットにやられちゃうと
ちょっとしんどいなあ…と感じてしまいました。
それに一つの症状を「現代人の自我の崩壊」の象徴のように取り扱う遣り口はあまり好きになれないのです。


この小説のもう一つの切り口は「エコロジー」。舞台となる町はネブラスカの中でも渡り鳥が冬から春にかけての
2−3ヶ月を滞在する地域で、その時期には人口を超えるほどの数の鳥たちが集まってくる。
その地域を開発するか保護するかの闘争にカリンが関わっていくことになるのですが、
「保護派の前カレ」と「開発派の昔カレ」の間を行ったり来たり、ってのは幾ら情緒不安定でも
オイオイ…とたしなめたくなってしまう。渡り鳥の生態など自然描写はとても美しいのですが、前面に出てくる
人間関係が問題を卑小にしてしまっているような…。


という訳で、私の興味はもっぱらマークの事故の原因究明と、現場に残された謎のメッセージの解明に注がれたのでした。
これは、まあ…悪くはなかった。でもやっぱりちょっと納得いかないかなー。


多分私は、理系的要素の入った小説にはとことんロジカル&ドライに展開してほしいと望んでいるのでしょう。
逆にパワーズさんは割とその辺ウェットに進めていくタイプのようで(だから理系から転向したのでしょうが)、
その意味で『ガラティア2.2』みたいなのは本当に私の性に合わないし、今回もちょっと苦手だったかなあ、
というのが正直な感想です。でも取り上げるテーマによってはバシッとツボにハマる作家なので、これからも
チェックは続けていくつもりであります。



これはハマッた作品(感想はこちら)。
オバマ議員が民主党の大統領候補に選ばれた頃に翻訳が出れば話題性もバッチリ、と企んで?いたのですが
2008年は無理っぽいですね。



妻を帽子とまちがえた男 (サックス・コレクション)

妻を帽子とまちがえた男 (サックス・コレクション)

何度読んでも「人間ってすごいすごい!」と素直な感動に捉われる著作。
しかしサックス作品の文芸界への影響力って相当なものじゃないでしょうか?
まあ大抵は都合のいい創作ネタとして安易に使われてるだけだったりするけど…。



ロマンティックな狂気は存在するか (新潮OH!文庫)

ロマンティックな狂気は存在するか (新潮OH!文庫)

第6章「文学的好奇心をそそる精神症状」に替玉妄想(=カプグラ症候群)も取り上げられています。
SFだとよくありますよね、替玉妄想話。