「星々の生まれるところ」(マイケル・カニンガム)


一時帰国中に古本にて購入:


星々の生まれるところ

星々の生まれるところ


前作「めぐりあう時間たち」でヴァージニア・ウルフの繊細な魅力を私に知らしめた著者の最新作。
今度のモチーフはウォルト・ホイットマン。三話構成というのも前作と似ているし、これでまたホイットマン
マイ・ブームが来るか?と興味深々で読み始めたわけですが…。


第一話「機械の中」。産業革命期のアメリカが舞台。
…な、なんか…すんごく怖いんですけど?これってホラーじゃないの?
主人公も周りの人間も「それはやばいっ、やばいよー!」という方向でどんどん進んでいくし。
誰か止めてやってよ!両親はどうなっちゃったのよ!


第二話「少年十字軍」はポスト9.11である現代の物語。こちらは今時のサスペンス風。
段々第一話との関連性が見えてくる(人物名とか)。勿論その関連性は第三話にも持ち越される。


第三話「美しさのような」は近未来が舞台。
最近は普通の(非SFの)小説家が描くディストピア風小説が多いけど、
大抵は陳腐なのでそろそろこういうのは打ち止めにしてほしい。
しかしディストピアにも関わらず、全三話の中でこれが一番希望の持てる結末になっているところが
凄いといえば凄い。


全編を通じてホイットマンの詩が主人公に「組み込まれた言葉」として語られるのだが、
明るく朗々と響くはずのホイットマンが、私にはむしろ黙示録のように重く感じられた。
全人類に希望を与えるべく詠ったホイットマン
しかしその無邪気な肯定こそが、今のアメリカの病巣に関係するのではないか?とまで勘ぐってみたり。


帯には「詩的ファンタジー」とか書いてあるし、カバーデザインもニューエイジ風で一見癒し系小説みたいですが、
実際にはかなり救いのない内容で落ち込みました…。
カニンガムの作品傾向には合ってない気がするけど、やっぱりアメリカ人作家にとって
「9.11の後でいかなる小説を書くか」というのは一つの大きな課題なのだな、と改めて認識した次第。
乗り越えるにはまだまだ時間が掛かりそうです。


しかし映画化も決定したそうですが、この中の1話だけに絞って作るのかな?
めぐりあう時間たち」のように相互関連させて並列的に描くのは難しそう。
(それに第三話はあんまり観たくない…)