「The Master」(コルム・トビーン)


2004年ブッカー賞候補作。
アイルランドの作家は優先的に読む!と言いつつ2年間も寝かしてしまった…。


The Master

The Master


ヘンリー・ジェイムズの作品は以前に『ねじの回転』『ある貴婦人の肖像』『鳩の翼』を読んだくらいだが、その時の印象は「なんとも思わせぶりだなー?」だった。


どういうことかというと、登場人物がみんな明言を避けるのである。そのくせ、


「慎ましやかな私は決してそのことを口に出したりはしませんが、頭の良いあなたのことですから私が何を望んでいるかお分かりのはずだし、かといってわざわざそれを私に確認するほど野暮じゃありませんよね?」


みたいな素振りで話が進むのである。いやはや面倒くさい。
しかし慣れてくるとこれが極上の心理合戦みたいに思えてくるのですね。


ビーンのこの小説はそんなH・ジェイムズ本人の心の揺れ動きを、1895年から1899年の4年間を中心に丹念に解き明かしていく。既に小説家としてそれなりの実績を挙げていたジェイムズだが、自信を持って世に送り出した戯曲は大不評、傷ついてアイルランドに逃げ出すところから物語は始まり、様々な交流関係や家族内での葛藤の中から創作のヒントを得て、それをくつくつと頭の中で煮詰めていって最終的に小説として形をとる、その過程が大変に面白い。
これまでは「現代(二十世紀)文学の人」というイメージが強かったけど、実はいろんな意味で二つの世紀を橋渡しする役割を果たしたのだと実感できたのも収穫。青年期にもう少しで南北戦争に従軍しそうになった(実際に弟達は参戦している)なんて話を読むと、実は南北戦争ってつい最近の出来事なんだなあと感じ入ってしまったり。


少しでもヘンリー・ジェイムズに興味のある人ならきっと楽しめるし、読み終わった後は未読の作品を漁りたくてたまらなくなること間違いなしの傑作。文章は端整、それでいてちっとも難解ではないので読んでいて気持ちよかったー!



…以上が表の感想。これからは裏。
コルム・トビーンは自分が同性愛者であることを明言している作家だが、このヘンリー・ジェイムズも実はゲイだったと推測されている(らしい。私は知らなかった)。
ジェイムズ本人がそれを認める発言を残していないので、隠していたのか、違ったのか、それとも本人が無自覚だったのか分からない。これまた思わせぶりな話。


男女に関わらず交友関係は広かったようだが、結婚に至るまでの女性は結局いなかったし、永遠の恋人!みたいな男性もいなかった。
この小説では、ジェイムズは気の合う友人とも常に一定の距離を保ちたがる人間として描かれている。手紙などでどれほど親密に呼びかけていても、向こうが更に一歩踏み出そうとするとやんわりと拒絶するようなタイプ。こういった態度が誤解を呼んで、後に一番親しかった女性と最悪の形で別れることになってしまう。


そのくせ離れているときは、今度会ったらあれも一緒にしよう、あそこにも一緒に行こうと延々と空想(妄想?)にふけっているのだから困ったチャンである。あまりに期待が大きくなるので、実際に会ってしまうと幻滅が激しくて急に熱が冷めてしまったり。まあ私も割とそういう質なので身につまされたりして…。


そんな感じなので具体的なラブシーンは無いのだが、にも関わらず、ほんの一瞬すれ違う男たちとの視線の絡み合いの描写がなんだか妙に艶っぽいのである。例えば第2章でちらっと出てくる世話係のハモンドとの関係なんて、何もないのに何故かドキドキしてしまう。腐女子ならこれだけで同人誌が一冊できるかも。ええっ?(赤面)



作者を出せ!

作者を出せ!

奇しくもほぼ同時期に英国で出版されたという、こちらもヘンリー・ジェイムズが主人公の小説だそうで、そう言われると読み比べたくなるなあ。



<参考>
WikipediaHenry James」の項(英語):
http://en.wikipedia.org/wiki/Henry_James


●「松岡正剛の千夜千冊『ねじの回転』ヘンリー・ジェイムズ」:
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0429.html