「雪」(オルハン・パムク)


日本人向け図書室にて借出し。
著者本人が「政治小説」だと語っているので、自分の肌に合うかどうか多少不安だったのだけどなんのなんの、これは本当に素晴らしい!


雪

「その前に出るために、靴を脱いだり、その手に口づけして跪いたりする必要のない神がほしいのです。わたしはわたしの孤独をわかってくれる神が。」
(略)
「神を一人で見つけられるならば、行きなされ。夜の中で、雪にあなたの心を神への愛で満たしてもらいなされ。わしらはあなたの邪魔はしない。しかし、忘れなさるなよ。自惚れた、誇り高い者だけが一人ぼっちになる。神は誇り高い者が嫌いだ。悪魔は誇り高かったから、天国から追い出されたのだ。」(p.134-135)


詩人Kaはイスタンブールで西洋的な教育を受け、自らを無神論者と位置づけていたが、政治亡命により逃れ住んだドイツでは屈辱的な生活を強いられていた。
母の葬儀のためイスタンブールに戻った彼は、市長選挙まもない辺境の町・カルスに取材のため訪れたが、実は彼の目的は大学時代の憧れの女性・イペッキとの再会にあった…。


全編降りしきる雪に象徴される細やかな詩情、各人の思惑が複雑に絡み合う意表を突く展開もさることながら、一番印象に残るのはイスラム社会に住む人達の多種多様な「声」が幾重にも響き合っていることだ。


カルスのような小さな町にも政教分離主義者もいれば原理主義者もいる。、西洋化推進派も反対派もいる。更には日和見主義者だっている。それぞれが自らの思いを口々に語り、また他人の意見やその場の状況によって揺れ動きながら苦悩し、また語る。そんな思いを丸ごと投げつけられることでKaの思いも刻々と変化し、また状況に振り回される。


元々政治的な人間ではないKaは、自分に降りてきた「詩」を書きとめることで、その変化を形に残す。しかしこれらの詩は一体どこから降りてくるのか?これこそが神の意志、なのか?


読みすすめるうちに自分でも気持ちが揺れ動くのが分かる。本来、信じるという行為は生活と不可分であるべきで、その意味で生活そのものに信仰が入り込んでいるイスラム教徒の生き方は正当に思えるけれど、その反面、意見を異とする者と激しく敵対するまでに狂信的な生き方は私には出来ない。しかしどちらも同じものを異なる面から見ているだけなのだ。


このような動揺、すなわち一方的なメッセージの押付けではなく世界の多様性を提示して人の心に揺さ振りをかけること、これが文学の仕事だというのなら、この小説はまさしく飛び切りの傑作。ちょっと誤植が多いのが気にならなくはないけれど、2002年に本国トルコで発表、2004年に英訳が出て、日本語訳が今年、うん、これほどの作品はせめてこのくらいのタイミングで出してほしいから細かいところには今は目をつぶろう。とにかくまず読まれてほしい作家であり作品である。旧作も是非翻訳を!



ヨーロッパとイスラーム―共生は可能か (岩波新書)

ヨーロッパとイスラーム―共生は可能か (岩波新書)


作中でも一つの大きな問題になっている、女子学生の教室でのトゥルバン(イスラムのスカーフ)着用の是非だが、私の場合この新書を読んで初めて当事者の心理が幾分なりとも理解できたような気がする。あとイスラム社会における政教分離の難しさなども。
これを機会に、もう一度読み返してみようと思う。


●前作「わたしの名は紅」感想:
http://d.hatena.ne.jp/shippopo/20051104