「明治大正 翻訳ワンダーランド」(鴻巣友季子)


明治大正 翻訳ワンダーランド (新潮新書)

明治大正 翻訳ワンダーランド (新潮新書)

先日、ある作家と評論家の翻訳をめぐる対談を聴きに行ったさい、翻訳の苦労談やこぼれ話が展開されるなかに、「日本文学(の言語)は最近まで、明治二十年代にインストールした外国文学のソフトウェアの中でずっとやってきた」ということばが出てきた。現在の日本には、このソフトを意識してか無意識にか初期化しようとする作家が出てきているという。
(略)
では、この「外文ソフト」をどうやってインストールしたかといえば、もちろん翻訳をとおして行ったのだ。明治二十年代が日本文学の一大変革エポックであるなら、そのソフトの元になる翻訳文学にも多くの大事件がおきているはずだ。(p.8-9)


巻末の文献一覧によると上記の対談とは高橋源一郎氏と新元良一氏のものらしいが、なるほど上手いこと言うものだなあ。


で、その「外文ソフト」インストール時の翻訳者の熱意と試行錯誤を、豊富なエピソードで軽妙に読ませるのが本書。ユニークな翻訳(論)史としても興味深かったが、そんな肩肘張って読まなくても面白い裏話満載なので気軽に楽しめる。昔も今も変わらぬ翻訳者の苦悩と情熱に頭が下がる思い。


著者のことは気鋭の若手翻訳者として名前はよく聞いていたが、こんなに若い方だったとは知らなかった。素人目にはかなりしんどそうな大物作品をガンガン訳しているのに加えて、こんなリサーチまでしてるなんて、うーんスゴイ。機会があれば是非続編というか昭和初期編などもお願いしたい。


参考までに目次など。ね、読みたくなるでしょ?

第1章 近代の翻訳はこの「一字入魂」から出発する
ユゴー『探偵ユーベル』森田思軒訳(明治22年)
第2章 訳文が生きるか死ぬかは会話文
―バアネット『小公子』若松賎子訳(明治23〜25年)
第3章 超訳どころの騒ぎではない
―ボアゴベイ『正史実歴鉄仮面』黒岩涙香訳述(明治25〜26年)
第4章 鴎外の陰に隠れはしたが
―レルモントフ「浴泉記」小金井喜美子訳(明治25〜27年)
第5章 すべては憧憬にはじまる
―ゾラ『女優ナヽ』永井荷風編訳(明治36年)
第6章 辛抱して読んでくれ!
トルストイ『復活』内田貢魯庵)訳(明治38年)
第7章 遠く離れた日本で出世
―ウイダ『フランダースの犬』日高柿軒訳述(明治41年)
第8章 原作はいったいどこに…?!
―アンノウンマン『いたづら小僧日記』佐々木邦訳(明治42年)
第9章 肉体を翻訳する舞台
イプセン『人形の家』島村抱月訳(明治43年)
第10章 童話は初版だけが本物か
―「模範家庭文庫」中島孤島他訳(大正4年)
第11章 絶好の売り時を逃すまじ
―リットン『ポンペイ最後の日』中村詳一訳(大正12年)
第12章 うっかり誤訳?意図的誤訳?
―グリズマー『東への道』岩堂全智・中村剛久共訳(大正12年)
第13章 発禁、伏せ字を乗り越えて
―モオパッサン『美貌の友』広津和郎訳(大正13年)
第14章 ノベライゼーションの草分け
―ルルー原作、カーニー改作『オペラの怪人』石川俊彦訳(大正14年)


翻訳語成立事情 (岩波新書 黄版 189)

翻訳語成立事情 (岩波新書 黄版 189)

明治期の翻訳事情についての本で面白かったのは、やっぱりこれでしょうか。当時作られた訳語が今の私たちの考え方にも影響しているというのが、よーく分かりました。