「The Time of Our Singing」(R・パワーズ)

リチャード・パワーズを原書で読むのは初めて(翻訳2作は既読)。難解、とまでは言わなくても相当構成には凝るタイプだし、読者にもかなりの知識量を求める作風だし…とおっかなびっくりで読み始めたものの、文章自体は簡潔で読みやすいし、核となる物語は実はシンプルというかピュア(というかベタ?)なので、一旦慣れれば意外とスイスイ読める。というか面白いから波に乗ったらなかなか止められない(と、言っても凄い分量なので時間は掛かった)。


ドイツから亡命してきたユダヤ人の父と、黒人(Afro-American)の母から生まれた Jonah、Joseph、Ruthの三人兄妹は、両親に似ていずれも音楽の素晴らしい才能を持っていた。特に長男のJonahの歌声は聴く者全てを魅惑していく。主な語り手である次男のJosephにも優れた資質があるのだが、兄の圧倒的な才能の前に霞んでしまい、常に兄の歌の伴奏者、ナンバー2の存在に甘んじている。
心優しく繊細な Josephは、エゴイストである兄の言動に振り回されっぱなしのようにも見えるが、兄は兄で天才ゆえの孤独に、弟の考えの及ばぬ次元で苦しんでいる。


彼らを「人種を越えた」人間として育てていこう、と高い理想を掲げる両親の元での幼年時代はまるで聖家族のような印象を与えるが、不可解な母親の事故死から家族は徐々に崩壊していく。実際にはそれ以前から身内で激しい葛藤があったことに気づかされるのは、物語のかなり後のことになる。



彼らの成長の過程は黒人の公民権運動の高まりと時期を同じくしており、折々に歴史的な事件が(時にはかなり強引に)差し挟まれ、彼らの人生を激しく左右する。しかし彼らは直接その行動に加わるには外見上 “too light(肌の色が薄い)”であり、彼らが扱う音楽が主にクラシックであることも「白人のお遊びに荷担する裏切り者」という偏見を呼び起こす。一方でどれほどの才能を示しても「黒人にしては」歌が上手いという評価を越えることが難しく、兄弟にこのジレンマは絶えずつきまとう。


それでも音楽という鎧で世俗の騒動から一歩身を引いている兄弟二人に対し、 妹のRuthは早々と音楽に見切りをつけ、公民権運動に積極的に関わっていこうとする。とはいえ兄達同様に、彼女も混血であることのジレンマから逃れることは出来ない。


J・ユージェニデス「ミドルセックス」を読んだときにも感じたことだが、独自の神話・伝説を持たないアメリカ人は、それゆえに現代史を語るにあたり(それ以前の移民や種族の歴史をも貪欲に取り込んで)自己を神話化する力に非常に長けている。この作品も、過去百年にも満たない年月を、大胆な構成と詳細な描写で一つの壮大な神話を作り上げよう、という意気込みに満ちている。



読み進めるうちに自然と公民権運動については色々知ることになる。中でも私が一番ショックを受けたのはエメット・ティル少年のリンチ殺害の部分だった。ぞっとする状景描写が小説の出来事ではなく、事実であることを確認したときの脱力感は忘れられない。偏見に助長された人間のおそるべき残忍さに呆然とする。私もまた偏見に囚われたときに、同じような残忍さを発揮するのだろうか?そんな機会が訪れないことを願うばかりだ。


●参考:「エメット・ティルのリンチ殺害事件 再捜査」
http://blog.livedoor.jp/sistah/archives/572683.html



公民権運動と並行して物語に重要な役割を演じているのが音楽だ。彼らの両親が初めて出会うのが黒人歌手マリアン・アンダーソンの歴史に残るワシントンDCでの屋外コンサートであることからも分かるように、この二つは物語に切っても切り離せない要素として登場してくる。


(マリアン・アンダーソンに関しては近年児童書で次のような伝記が出版されており、いずれも高い評価を受けているとの事)

The Voice That Challenged a Nation: Marian Anderson and the Struggle for Equal Rights (Bccb Blue Ribbon Nonfiction Book Award (Awards))

The Voice That Challenged a Nation: Marian Anderson and the Struggle for Equal Rights (Bccb Blue Ribbon Nonfiction Book Award (Awards))

●参考:http://www.yamaneko.org/mgzn/dtp/2005/03.htm#voice



●参考:http://www.yomiuri.co.jp/book/kodomo/ko_site/20050512bk08.htm




兄弟の歌うレパートリーの中心はクラシックの歌曲だが、クラシックといっても前衛音楽や古楽復興といった流行り廃りはあるわけだし、ポピュラー音楽ではゴスペル、ジャズ、ロックからラップまで、様々なジャンルの音楽に彼らが無感動であるわけもなく、それぞれの音楽との出会いとその後の関わり合いが印象的に語られる。



相対性理論を研究しているユダヤ人の父親に関しては、「いくらパワーズでも、それはちょっと題材を欲張り過ぎでは?」としばらくは思っていたが、時制も構成も過去/現在/未来を行きつ戻りつする不安定な語りそのものが、父親の存在意義を象徴しているように段々思えてきた。
なにより音楽は時間芸術でありながら、その至福の瞬間に時計の針を止め、永遠の次元へと私たちを引き上げてくれる。読みながらそんな思いを強くした。


最後の場面は一種特別な余韻を伴って、これまでこの一家に、そしてアメリカの歴史にずっと付き合ってきた者の胸に迫ってくる。読み終わった後からも色々と考えるべき課題を与えられたような、そんな力のこもった作品だった。




【参考】
アフリカ系アメリカ人タイムライン1619-1996」
http://www2.asia-u.ac.jp/~chiban/AAtimeline.html


「GOSPELとAFRO AMERICANに関するお勉強の部屋」
http://www.ismusic.ne.jp/ej/study/index.htm


「ブラウン裁判から50年―アメリカ高等教育と多様性(上)」
http://www.riihe.jp/arcadia/arcadia165.html