「言葉と歩く日記」(多和田葉子)


図書館にて借出し:



ドイツつながりということで、著者の作品はやはりチェックしてしまいます。全部が好き!というわけではないけれど、例えば2011年に出た『雪の練習生』はその年読んだ小説の中でもベストでした。


雪の練習生 (新潮文庫)

雪の練習生 (新潮文庫)

(あ、文庫本出てる…)


エッセイではドイツ語と日本語の感覚差を巧妙に記した↓がお気に入り:

(あ、これも文庫に…)


今回の本もこの『エクソフォニー』の流れに沿っていますが、新書&日記形式ということで割ととっつきやすい内容になっています。


読みはじめてまずエエッと思ったのは、『雪の練習生』を著者自らドイツ語に翻訳しはじめたということ。これまでドイツ語で作品を発表したり、その作品を日本語に翻訳したりということはされていたのですが、自作品の日本語→ドイツ語の翻訳は初めてとのこと。うわーこれはちょっとワクワクする!
例えば作品冒頭のこんな箇所の翻訳に悩むのは、正に多和田作品ならではという気がします:

まず冒頭部から大変困ったことがある。それは、人間なのか動物なのか分からないまま話を始めたかったのに、ドイツ語では、動物の手足と人間の手足をさす単語が異なっているので、すぐに動物のことだと分かってしまうことだった。動物の足、特に前足を「Pfote」と言う。この単語は人間には使えない。絶対に使えないわけではないが、使えばおどけた口調になってしまう。(P.95-96)

なるほど、そう言われれば確かに。
一度は「Pfotenhand」なる新語を造ってみた著者ですが、やりすぎと感じて結局取りやめてしまいます。しかし後日、ある勉強会でその話を漏らしたところ、ドイツ人女性に「その言葉はとても美しい」と繰り返し言われてまた拾い上げることに。さて最終稿ではどうなっているかな?


こんなエピソードが最初から盛り沢山なので、特にドイツ語をかじった人や外国語に興味がある人なら楽しく読めると思います。1月1日の日記からこんな感じ:

そうだ、わたしは日本語の感覚で「すべる」のが嫌なのだ。日本の受験戦争を生き抜いてきた人間にとって、「すべる」ほど嫌なことはない。(略)
頭をドイツ語に切りかえて考えてみると、すべるのは縁起のいいことかもしれない。大晦日が近づくと、ドイツでは「Guten Rutsch!」と挨拶し合うが、これは直訳すれば「良いすべりを!」。うまく次の年にすべり込んでくださいね、という意味で、わたしはこの挨拶を耳にする度に、年と年の間に何か障害物があって上手くすべれなくて永遠に境界に留まってしまう人もいるのだろうな、と思う。(略)
「Rutsch」には元々「旅」の意味もあり、新年を迎えるにあたって、「よい旅を!」と言われれば、目の前に新しい風景が開け、気持ちが弾む。日本語の「すべる」は転ぶことを前提にしているが、すべるから転ぶとは限らない。フィギュアスケートの選手に訊いてみれば分かることだ。(P.3-5)

ちょうどオリンピックの開催時期だったこともあって(ほとんど観てないけど)なんだか読んで妙に納得してしまいました。外国語を勉強していると、こんな風に言葉を身体感覚で捉える機会があって新鮮です。だから上達しなくてもついついかじりたくなるんだろうな…。